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大阪酒屋日記 かどや酒店

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2011年 04月 30日

津波で酒蔵を失った男の再起への誓い 【磐城壽】鈴木酒造店 全文

【日経ビジネスオンラインより】

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110421/219540/
津波で酒蔵を失った男の再起への誓い
地元の酒を愛する人々がなけなしのお金をカンパ


 3月11日14時46分に発生した東日本大震災は、東北地方はもちろん、関東東部、さらには長野県北部にまで甚大な被害を与えた。

 東北から北関東にかけて、太平洋沿岸部にある複数の酒蔵が壊滅的被害を被った。

 岩手県の地酒に『酔仙』がある。大地震を追いかけるように起こった津波は、金野靖彦社長が見る前で、酒蔵のすべてを飲み込んでいった。高台に逃げる途中で振り向くと、酒蔵は怒涛に飲まれていた。残ったのは、瓦礫の中から突き出す流木に引っかかった酒樽だけ。

その光景が金野社長に与えた衝撃と哀しみは言葉に表しようがない。しかも、3月11日は甑倒し(こしきだおし)――この年最後の米を蒸して仕込み、酒の神様を祀った神棚に新酒を供え、蔵人(酒造りの職人)の労をねぎらう――の日だったという。


その同じ日に甑倒しを終えていた蔵がある。福島県の地酒『磐城壽(いわきことぶき)』を製造する鈴木酒造店だ。磐城壽の生産量は決して多くはない。だが、地元の海の男たちと、全国の愛好家の咽をうるおしてきた酒だ。

地震、津波、原発事故――すべての災害が同酒造店を襲った。酒蔵も、住む家も崩れ、すべて津波に押し流された。確かにそこに酒蔵はあった。しかし、今、その場所には蔵があった形跡すら残っていない。にもかかわらず、大きくニュースに取り上げられることもなかった。


放射能漏れのため立ち入りが禁止されていた地元の請戸地区に、地震発生から1カ月以上たって初めて捜索隊が入った。.震災から1カ月半がたった。しかし、福島第一原発の事故のため、蔵があったはずの場所への立ち入りは制限されたままだ。近寄ることもできない。この先、20年も浄化されない可能性も懸念されている。それでも鈴木酒造店の専務、鈴木大介さんは、『磐城壽』の看板を再び掲げるため、再建へ動き出した。



海の男のための酒を手作りで造ってきた

「東西に長く広がる浪江(なみえ)の町は、二つの川が海へと注でいます。その一つは水源も町内にある、本当にきれいな町なんです」(鈴木さん)


福島県浪江町の酒蔵、鈴木酒造店は、海運業を営んでいた先祖が天保年間に創業したとされる。請戸漁港も近く、傍らにある堤防に上ぼると目の前に太平洋が広がる「日本一海に近い酒蔵」だ。


『磐城壽』の堂々たる銘柄の看板 鈴木さんは、磐城壽が「海の男酒」であることを誇りに酒造りをしてきた。磐城壽は、海の男たちが誇る大漁を「壽ぐ(ことほぐ)」ための酒であることから、こう名づけられた。鈴木さんは「数年前までは、大漁だと、漁協(漁業協同組合)が船主に酒を贈ったんです。そのため『大漁だったが?』と聞く代わりに『酒になったが?』と声をかけることが漁師の挨拶だったんです」と語る。磐城壽、通称『壽』は、漁師たちに届けられた寿ぎの酒だ。



唯一持ち出した生酒、『季造り しぼりたて 磐城壽』は、お世話になっている人たちに振る舞った。再び醸(かも)す日を期して。 水も米も地元産を使い、すべて手作りしてきた。
海の近くにありながら、鈴木酒造店の敷地内の井戸からわき出る水は酒造りに適した良水だ。いくつかの井戸からわき出る質の異なる水を使い分けて仕込んできた。とろりとした水質が、磐城壽をふくよかな酒に仕立てている。


米にも、気を遣っている。数年前から地元の農家に契約栽培を委託。安定した質の米を仕入れられるようにした。精米は、コンピュータ制御の精米機を導入し、自社で行う。麹を繁殖させる麹室(こうじむろ)は、30年前に作った木造りだ。


 「この規模の蔵とは思えない設備を整えていたんです」(鈴木さん)


専務で、杜氏も務める鈴木さんは、忙しいながらも楽しそうに酒造りをする父の姿を見て育ち、迷うことなく酒造りの道に進んだ。東京農業大学を卒業後、奈良の地酒酒蔵で4年ほど修行して、1999年に浪江町に戻った。12年の間に磐城壽を、「地元で愛される酒」から、「地元以外でも愛される酒」に育てた。生産量も250石(1石は180リットル、一升瓶で100本)から400石強に増やした。


津波がすべてを奪った



鈴木さんは「『宮城沖地震が来る』と以前から言われていたから、瓶詰めした酒はいつも倉庫にぎゅうぎゅうに詰めて、倒れないようにしていたんです。甑倒しの日だったから、その日に仕込んだもろみは全部流れてしまった。地震だけだったらなんとか凌げたんです……と振り返る。


鈴木さんの備えをあざ笑うかのように、津波はすべてを持ち去っていった。最後の仕込みが終わり、袋吊りでじっくりと搾った吟醸酒を瓶詰しようと準備していた時だった。

作年夏の猛暑で、米の出来は「今ひとつ」と言われていた。しかし酒造りに適したこの冬の寒さを生かし工夫することで、質を落とすことなく満足のいく酒ができた。こだわりの酒は、搾ってから半年寝かせて、この秋に出荷する予定だった。手元に残ったのは、鈴木さんが持って逃げた「季造り しぼりたて磐城壽」1本だけだ。


美しい故郷がみるみる崩れ、流され、土砂と瓦礫の下に埋まった。自分や周囲の人の命を守るのが精一杯だった。どうすることもできない命も見てしまった。その日は、消防団員として深夜まで避難誘導に従事した。疲れ果てているのに地震への恐怖と今後への不安で眠れなかった。


鈴木さんの母親は「あの真っ平らになった土地を見たら、執着しようにもできませんよ」と力なく笑った。「執着しない」という言葉の裏にある執着、断ち切ることのできない酒蔵、郷土への思いが伝わって来た。


大事に造り上げてきた蔵は、必要な設備をほぼすべて整え、借金も払い終える目前だった。

鈴木さんは「設備に投資した金額は、思い出さないようにしてるんです。考えるとぞっとしますから」と努めて明るく話す。



「酒を造ってくれ」「浪江のものを残してくれ」



地震の翌日、消防団の作業を終えて避難所に入ると、周囲の皆が思いもしなかった言葉をかけてくれた。


 「酒を造ってくれ。どうにかして造って、浪江のものを残してくれ」


倒壊した自宅からは何も持ち出せず、着の身着のままで飛び出した作業服姿の鈴木さんに、これまで磐城壽を買い支えてくれた人たちが「使ってくれ」と懐のお金を渡した。彼ら自身も着の身着のまま。そこにあるお金が今は全財産なのに、そのなけなしのお金を預けてくれた。


 「……それはもう、使えなくて……」(鈴木さん)


まだ、何も落ち着かない、何も考えられない。
そんな中で、自分の顔をみつけると、声をかけてくれる人がいる。
揺らぎかけていたアイデンティティが、鈴木さんの中で再び屹立した――地元の酒を造ることが自分の使命だ。地元の歴史と伝統を将来に伝えることが、自分の仕事だ。


春らしい日和となった4月17日、浪江町臨時役場が置かれている二本松市の「道の駅ふくしま東和」に、浪江町の若い衆が集合。テレビのB級グルメ大会にも参戦したラーメン焼きそばを、地元の人たちや避難している浪江町の人たちに振る舞った。

これまで造ってきた透明な液体の重さが、ずしりと感じる重さが、両の手に感じられた。




友人への断ち切れない思い



とは言え、鈴木さんはすぐに動き出せたわけではない。気持ちの整理がつかない問題がいくつもある。

鈴木さんは「実は、契約栽培 をしてくれていた一家が、まだ見つかっていないんです……」と語る。


それが気がかりで、大きな一歩を踏み出せずにいる。見つかるまではどうしても気持ちを切り替えることができない。

また、酒造店を再建しようにも、売るものは何もない。蔵もない、設備もない、土地もない。
資金もない。今の鈴木さんは、本当のゼロから、むしろマイナスから の出発だ。
新たに蔵を建てるとすると、土地も含めて1.5~2億円弱はかかる。


 「まだまだ課題は大きいですね。でも、前を向いていかないと何もできないですし」



阪神・淡路大震災から復活した酒蔵に勇気をもらう



4月7日、鈴木さんは神戸の酒蔵を回っていた。以前からお世話になっていた大阪の酒販店の計らいで、「再建の参考になるのでは」といくつかの蔵を見学できることになった。4日に大阪に入り、中国地方と関西を回って、その日が最終日だった。

紹介された蔵を見学し、案内してくれた杜氏や蔵人とこれから造ろうと考えている酒の石高などを話していると、「すぐ近くに同じような規模の蔵がある、見学してみないか」と言われた。その前日にも同様に勧められた蔵だった。

この蔵の実質的な経営者である取締役はこの日は不在だった。名刺だけでも置いていこうと寄ったところ、応対してくれた若い杜氏が、わずかに空いていた昼休みの時間に蔵を案内してくれた。


鈴木さんは「今年の酒造りと、去年までの設備投資に要した負債があります。それらを返すためには、最低でも150石は造らないと間に合わない。その蔵は、ちょうど150石の酒が造れる規模の蔵だったんです」と語る。

その規模や設備は、考えていたものに限りなく近く、これから整えようとする蔵の設備に、とても参考になった。しかし、それ以上の共通点が鈴木さんを力づけた。その蔵もまた、阪神・淡路大震災で全壊し、12年かけて再建した蔵元だったのだ。

中国地方や阪神地域で訪ねた大小の蔵は、いずれもおいしい酒を造るためのこだわり、設備への工夫が随所に見られた。これらに刺激され、自分が造るべき蔵の姿がいくつか浮かんできた。



不死鳥の血が流れている


幸い、顔見知りの同業者や、飲食店、小売店などが励ましの声やアドバイスをくれる。


 「休眠中の蔵を使わせてもらったら?」
 「蔵の一部を使ってくれ」


何より、磐城壽を買い支えてくれた、再建を待ち望んでいる町民がいる。今は散り散りになっていても、次に集まるその日には、「晴れ」の席には磐城壽を置きたい。

「原発の問題で、もしかしたら20年は帰れないかもしれない。そうなると、今ある酒がとても貴重なんです。息子が酒蔵を継ごうと思ったときのためにも、オリジナルの味を残しておきたい」

地元で好まれる魅力ある酒には、他の地方でもファンが生まれる。それが幸いして、去年までに出荷した磐城壽が、わずかではあるが地方で手に入る。今、親しい酒販店がそれをキープし、散り散りになった町民たちが、それを買い集めてくれている。

加えて、福島県ハイテクセンターに研究材料として貸し出していた酵母から、鈴木酒造店オリジナルの酵母や乳酸菌が捕れるかもしれない。酵母は酒の味を決める重要な要素の一つ。
水や米が多少変わっても、元の味に近い酒を造れる可能性がある。


鈴木酒造店の蔵で使っていた山廃酒母を、研究用として福島県ハイテクプラザに預けていた。
この酒母から鈴木酒造店の蔵オリジナルの乳酸菌が採れれば蔵の歴史の一部が残ることになる。

「けっこう楽観的なんです。うちは元々、回船問屋をやってました。明治維新の時、新政府軍に船を徴収されて商売が大打撃を受けた。戦時(第二次世界大戦)中は金物供出で道具が不足し、商売にならなかった。さらに同じころ、企業整備(第二次世界大戦中、国が企業を統合したり整理したりした)で廃業してたんですよ。それを戦後、苦労して復活させた。そんな話を家族から聞いているので、『これで3度目か』って(笑)」


これからの道のりは平たんではないだろう。けれど、周囲が「酒バカ」と呼ぶ鈴木さんの熱心さは変わらない。来年の春にはきっと『磐城壽』の 生酒が、そして秋には、半年寝かせた自慢の『磐城壽』が届けられるにちがいない。





【ゴールデンウィークの営業案内】

4/29(金・祝) 10:00~17:00頃
4/30(土) 10:00~18:30
5/1 (日) 10:00~18:30
5/2 (月) 定休日
5/3 (火) 10:00~17:00頃
5/4 (水) 10:00~17:00頃
5/5 (木) 休み


by kadoya-sake | 2011-04-30 12:16 |


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